会議はさらに感動的でした
ただ皆さんの発言から、何をあぶりだすのかが勝負のような気がしています。
情報の受け手が、自分なりに理解し、解釈すればよいという考えもありますが、情報の整理は少々必要でしょう。
細かな意見といえばいくらでもありますが、そんなことは、どうでもよいことで、一歩づつ、確実にコトが実現されていく事がなにより大切なのだと思います。
是非来年も参加させてください。
有意義なセッションの時間を持たせていただき、
感謝しています。
この会議を生み出していただいた全ての方々に
お礼を申し上げます。
慌ただしい日常の中では得られない時間であり、
出会えない方々だったと思います。
普段よく顔を合わせている方々でも、
あのような対話をするチャンスは少なく、
やはり、やや遠い
滝川という場所がよかったのだと思います。
滝川でのこの集まりは
静かに、大きな流れになるかもしれません。
行政の手や、腰の思い人々の手を借りないで
自分たちの意志だけで実現できるイベントとして、
とても気持ちのいい手応えを感じました。
できれば、継続を希望します。
ディスカッションに結論などないと思います。
いかなる問いを生み出せたか。
多くの人がどれだけ考え得たかということが
成果であり、そういう意味では
様々な思考の端緒が収穫できました。
大成功だったと思います。
デザイン宣言タキカワ会議は、開会前の食事が、美味しいシャンパンと空知の旬のものを中心としたメニューで、パネリストの方々も、よく飲んで食べていらしたようですが、会議が始まってからも、皆さんきりりとして、ご意見を述べられていました。
また、パネリストを囲む参加者も、よく見かける居眠りが全く見られず、真摯な態度で受け取めている様でした。
パネルディスカッションで良くある、そうだそうだ、シャンシャンという予定調和的会議ではなく 、パネリストの方々の多彩な本音のご意見を聞くことができました。
あえて、結論が一つになる会議でなくて良かった様に感じています。
デザインには、100人のオーナーがいれば100通りの答えを求められ、100人のデザイナーがいれば100以上の答えが有るのだと思います。
誰にでも100点満点というものは無い代わりに、ある人にとっては期待以上のデザインで、120点付けたいものが出てくる。だから、やめられない世界なんでしょう。
そんなことを感じさせてもらった、会議でした。
また、来年も開催されましたら、出来るだけ参加したいと考えています。
有り難う御座いました。
久しぶりの子ども抜きの2泊を充分楽しみました。
今回のような場を設けてくださった皆様に感謝しております。
どうもありがとうございます。
もちろん、ただ楽しいだけでなくデザイナーとして考えさせられる事も多々あり日々、子育てを中心に過ごしてはいますが、第一線で活躍されている皆様の意見や考えを聞く事、大勢の新しい方々との出会いは、私自身にとても大きな刺激を与えてくれたように思います。もっと長い時間をかけて皆様の討論を聞いていたかったと思っています。
デザイン宣言タキカワ会議、熱気溢れるものでした。
白熱した意見が飛び交い、時間が押してしまい総括に至れなかったのは残念ですが、後日、ステートメントとしてまとめられるとのこと楽しみにしています。
さて、会議の途中、五十嵐さんよりオーディエンスの意見をと私が指名され、三浦華園の再生プロジェクトの話をさせていただきました。五十嵐さんをはじめとするみなさんの強い志と、それに協力されているクリエイターの方々の活動に感心する一方、ホテルスタッフの方々との意識の差が少し気にかかり持続可能な運営とは、などと、勝手な意見を申し上げました。
デザイン宣言タキカワ会議に目を向けてみると、市長が来られていたことの意義を感じつつ、滝川の方々が極めて少なかったことが気になりました。
人が繋がるということや、コトが動くというのは、強い理念とそれを社会化し持続していく仕組み、そして、その活動を支援する人たちが集うことが重要だと思います。
会議の前に美唄アルテピアッツアを訪ねたのですが、古い校舎を使用したミュージアムとその一階で今も実際に活動している幼稚園に、機能性と感性が融合した自然豊かな環境を見つけました。
直感ですが、この場所がこの地域の人たちにとって「自慢の場所」であるのではないかと思いました。
街の魅力を支えていくには、暮らす人の誇りが大切です。
地域の文化を耕し、共感してもらえる地域住民を増していくには、その地のポテンシャルに対する「気づきの種」をていねいに植えていくことが重要だと思います。
滝川公園のすばらしい自然や、飛行場にあったグライダーの機能美の美しいこと。
そんな、滝川の自慢を五十嵐さんやNPOのみなさんの地道な活動でもっと広めていただきたいと感じました。
デザイン宣言タキカワ会議での総括が一つの核になって、地域の人たちが滝川について積極的に議論し、「北の大地に自慢したくて仕方がない滝川がある」と、声が広まることがなによりです。
会議に参加して「喜びをリレーしていく」ことこそが、新しい滝川を生み出していくのだと感じました。
日本有数のクリエーターの方々の討論を、すぐそばで耳を傾けることが出来るという贅沢な時間を過ごさせて頂き、ありがとうございました。デザインという言葉1つでも、それぞれの方で随分解釈が違うものですね。専門的な事でわからない事もありましたが、概ね面白く拝聴しました。特に、須永先生の農業支援のプランニングや、飛び入りの西山さんのお話等興味深かったです。また、こういう人達が手を組んでやると大きな力になって町を変える力にもなっていく(直接でなく地元の中から「変えよう」という意識が芽生えていくという意味で。良くも悪くも自ら「変わろう」と思わないと無理だと思うので。)
デザインというのは、例えば商品であればそれを目立たせ消費者に購入させなければ等の使命もあると思いますが、街中にあって「ただ目立てば良い」的なものが多いと感じます。「これは公害では?」と思う事もあり・・・。住宅等の建築物もそうで、ホームメーカーや建築家がそれぞれに自己主張の多い家を建て、町並みはバラバラ。デザイナーの方には、そこの風景に馴染む、悪目立ちしない、下品でない、出来れば町並みの良くなる様なデザインをして欲しいと思ってます。
時間切れでしたね。この続きは来年に。デザインとは何か?デザイン力とは?デザイン学とは?このあたりの共通認識が無いと、議論を続けていくには多少無理があるのでは?ローカルデザイン力不足、本当に深刻です。でも、楽しかったし面白かった。
デザインの問題は思ってる以上に深く、そして広いという事を改めて感じられたシンポジウムでした。
とても勉強になりました。
一番印象的だったのが、五十嵐威暢さんの問題提議でもあり、議題でもあった「デザインの地域格差」。そして、この議論は「地方の町のデザイン不在」「デザインには志が必要である」という指向へ展開し、私に、ひとつの(複合的かもしれない)問いを投げかけました。それは、志の無い「滝川」とは?という問い。その実態は何なのでしょうか?滝川市の住民なのか、市役所なのか?日々、乱用している「地域」という言葉とその実態について、考え直したいと思いました。
ありがとうございました。
最初は各位、バラバラの話で冒頭で述べられた課題に対してアプローチしようとしていない様にも思えた。議長がリードするか、パネリストが議論したがっている課題を選ぶか。途中イライラも正直した。「デザインがお金の力に屈している、これは悪い事だ。」という議論になる中で、ではどうするのかという提唱が出来る経済(もしくは金融)出身のパネリストを迎えるべきだと考えている。次回の円卓会議では拮抗する2つの勢力を交えた方が面白くなると思っています。1年間が期間として長ければ、その間インターネット上でコンテンツを埋めてみても良いかも知れません。そうする事で次回の聞きに来る聴衆のレベルも高くなる効果も期待できます。
今日は短い時間でしたが楽しく過ごす事が出来ました。食事もおいしかったです。「何もしない事もデザインである。ただし何もしていない事ではない。」に実感です。汚いより美しい方が良い。不便より便利な方が良い。だからデザインは必要(大切)であると思います。日本のデザインがマーケット指向が強く踊らされているとは思いますが、私たちが働く現場でマネーを生み出すためには、デザイン(コピー)の価値を上昇させるためには仕方がないのではと考えます。誰もが自分の仕事が、結果、世のため人のためになることを願っています。
私は、3日間開催のなか日7月7日のみの参加でした。
以前よりデザイン会議(太郎吉蔵)を楽しみにしていたひとりです。日本を代表するクリエーターの方の会議の模様を楽しみました。ただ不満が残る部分が少し、講師の方が多いのではないかな・・・と。様々な立場の方々の今 現在の思いと拝聴できるのは貴重な体験ですが、おひとりおひとりの発言の時間が限られ、もう少し人数を加減して、もっと奥い議論本格的な意見交換を聞きたい所です。具体的には4〜5人位でしょうか?(但し、職種・ジャンルの違いは必要ですね。)
”今後のデザインの使命”なども、テーマといたしまして、大きな命題だけにキャッチボール的に熱いやりとりが展開されることが希望ですね。
私も職業として、グラフィックデザイナーをしていますが、どの位社会に貢献できているか再確認(再検証)しなければと感じています。
1人の消費者としてのスタンスを忘れずにいたいと思いますし、著名な方々のデザイナーとしてモノづくりをする上での背景にある悩みだったり、こだわりが自分と共通性があったりする事に共感する部分もあり、有意義なセミナーでした。
ありがとうございました。
デザイナーの皆さんは沢山のものづくりをしていて全く別世界の方々だと感じていましたが、とても人間らしく共感でき、驚く事が多々ありました。いつも意識していないような事に対して真面目に取り組んでいる姿に感動しましたし、改めて素晴らしい方々なんだと思いました。ユーザーイノベーション、コミュニケーションというものがとても大切なデザインは経済と強く結びついているという所が今まで「かっこよさ」だけを考えてきた自分にとってとても刺激的で楽しかったです。
デザインとは何か、問われていて、ただ商品だけをデザインするという事だけではなく、デザインのマーケット性、本質、何をしようとしているのか・・・。沢山話をされていてタメになりました。しかし、この会議の内容の大半は理解できてないかなぁという感じです。これからデザインと触れていったりデザイナーと話す事があったら、デザインとは何かを突き詰めていきたいと思います。
「人の生きる知恵がデザイン」原さんの言葉が沁みました。日本人は好きですが(古い日本文化含む)現代日本文化はどこで間違ったのでしょうか・・・。新しいデザインの教育機関の設立を望みます。
自分にとって有意義な会議であったと思います。自分達はどういう社会・未来に住みたいのか—示す時期にある様に思いました。
旭川のファッションビルの広告デザインの仕事をしているのですが、
「デザインの地域格差」は常に感じます。
「プラスを更にプラスにするのではなく、マイナスをプラスにするデザインを」
という言葉がありましたが
「お金が無いから、じゃあこの程度でいいや。」と諦めないで、
外注はせずに自分でつくってみたりと工夫をして、
「旭川のあの広告、なんか面白いね。札幌に負けてないね。」と
言われる様なものを、と目指しています。
クライアントさんとも、1つの仕事が終わる度に、
より良くするために反省点を話したり、
会話を増やす事で、以前よりどんどん、デザインや広告に対しての
意識が上向きになってきてくれてるのが、とても嬉しいです。
「デザイン」というものはとても身近にあって、
なくてはならないものなのに、
こういう仕事に携わったり興味が無いと、それに気付かないようで。
何か特別な事で自分達には理解出来ないものだと思っている人は多く。
時間はかかるけれども、実際の仕事を通して少しずつ伝えていかなければ、
理解してもらえないのかなと。
仕事はお金による所になってしまうのがとても悲しいですが、
お金がなくてもアイデアや手づくりする事によって
世界観をつくり上げるというのも楽しい作業でもあるし、
自分の中の新しい表現方法に出会えたりする事もあります。
0.1mmの世界のこだわりは、経済に何の影響も受けないかもしれないけれど、
やはり細かい所まできちんとこだわったものは
全体を通してみても滲み出てくるものだと私は思うので、
ずっと大事にしていきたいと思います。
自分のつくるものはつい「自我」が出てしまうと思うので
「自我を抑えるデザイン」はこれから意識していこうと思います。
今回アートフェスタ滝川に参加出来て本当に楽しかったです。
沢山の事を考えさせられました。
いつか「図画・工作」が「図 画・工作・デザイン」になる日を夢見て。
とても身近に「デザイン」があるという事が社会的に浸透する様に。
これからも日々精進で、目の前にある仕事と向き合っていこうと思います。
本当にありがとうございました。
電通で30年以上、マーケット指向でのデザイン開発のお先棒を担いでいた立場から見て、大変示唆に富みエキサイティングなディスカッションでした。
パネラー各位に感謝です。滝川に来て良かった・・・。
ところで、デジカメとパソコンで誰もが年賀状をデザインしちゃう時代が到来しました。また、クライアントのデザインの重要性認識もかつてとはくらべものになりません。
現在進行しているのはデザインの大衆化であり、それ自体素晴らしい事だと思っています。
反面、その事が深刻な危機的状況をもたらしています。つまり「デザインもどき」の氾濫です。
デジカメはそこそこのクオリティを保証し、パソコンは確実に正確な直線や曲線をつくり出してくれます。志があろうが無かろうが、デザインをしたかの如き満足感をみんなに与えてくれるというわけです。ぼくも、マックを手にしただけで、自分がデザイナーになったかの様な錯覚に陥ります。
そんな現在だからこそ、求められているのは「デザイン評論」の活性化ではないでしょうか。
佐藤卓さんからダイエーへの話がありましたが、ぼくはさくら銀行のあの看板が三井住友銀行のVIに変わった事を、この上なく嬉しく思ってます。
いいデザインと悪いデザインを峻別する。一般向けデザイン評論の充実が五十嵐さんの問題提起に対する解の1つと思います。
いいデザインとは何か—
1つの答えとして、それは今のものよりも少しでも便利であったり美しいものであったり、気持ちが快くなるもののことではないだろうか。ということは、使い勝手やあるいはつくり手がどういうものをつくりたいのか。どういう暮らしをしたいのか。ひいてはどういう社会にしたいのか、という意志をより明確に持っていることが必須の条件となろう。そういう意志や思考の無い所には、どんなに"いいデザイン″を用意しても理解されない。やはりそのものの社会、そこの住民、そこの人間達の意志をつくること(又は覚醒)が、とても重要なことと改めて考えさせられた。色々な意味でインスパイアされ、大変に有意義でした。
期待していた以上の素晴らしい会議でした。
1デザイナーとして共感し、
新たに気付かされたことも多い
密度の濃い内容でした。
印象的な言葉として
・デザインによる新しいゲーム
・デザインから出てくる新しいバイブレーション(波動)
・人間の思考に判断を促す力をデザインを持っている。
・気付き(感覚的にわかっていく事)
・持たざるもののパワー
・デザインは広大な「引きの目」
・デザインを考える頻度の差
・考え続ける事
・「志」
いつも思っていることですが
どんなに時間がかかっても
高い志を持ってあきらめずに続けてゆくこと。
これが一番大事なことではないでしょうか。
想像を裏切る地域づくり
110名の聴衆と10名のパネリスト達からなる、計120名による太郎吉蔵での小さな会議。数字や規模だけをみると決して大きいとは言えない会議。しかし、内容や人物は、トップランナーが集結して発言し合う、まるでスポーツを観戦するかのような想像を超える白熱した場でした。
地域は、都市部との地域格差が拡がり、地域のパワーがどんどん希薄化しています。そんな背景より開かれた今回の会議。“知らない事を知らないままの地域”僕が今回持った感想です。この状況は、大きな力で変えられるモノではなく、小さな所から変化させていく必要性があると思いました。これからの地域づくりには、知らない事を知らせる事の出来るデザインの力が必要になるという課題が明確に伝わってきました。議会中、学生は学校で知識を得るだけではなく、体験を伴う地域づくりに参加する地域の大学に対する提案が出ていましたが、僕は賛成で勿論、参加してみたいです。力を余した学生は全国各地にいます。それが日本中にネットワークされれば、多くの人が滝川のまちに興味を抱き、“知らない事を知る事の出来る”滝川が生まれていく可能性を感じました。
7/7(金)の昼に僕は、「空を知らない」ということに気付きました。プログラムの1つである、グライダーで乗った空は、高いビルから見える真っ直ぐな空ではなく“デコボコ道”なのです。昨年のRAP(ルーラルアートプログラム)にも参加しましたが、まさか1年後に違う顔をした滝川に出会うとは思っていませんでした。会議を通じて生まれた気付き。この小さな気付きを積み重ねていくと、地域づくりに必要なデザインに形が生まれ、想像を裏切る地域づくりが今後も展開されていくと感じました。機会があれば、会議を超えた場にまた参加したいと考えています!
最後になりましたが、日本のトップを走るデザイナー達によるデザイン会議に参加出来た事、出来る機会をつくって下さった五十嵐さんを始めとするスタッフ関係者各位の皆様方に感謝の意を述べたいと思います。
本当にありがとうございました。
これだけ素晴らしい日本を代表する方々が来て話す場に、北海道を代表する寺島デザインやレバンやもしくはエルグ、イザ等の方々もテーブルについて議論しても良かったのでは?とも思いました。私自身は仕事が凄く忙しくて二歳の息子を預けて来る手配などの準備は大変でしたが来て良かったです。
全て書ききれませんでしたが、自分が印象に残った発言が以下です。
皆さんそれぞれしっかりしたアイデンティティがあり聞いていて非常に刺激的なミーティングでした。
原氏「デザインがマネーにキスしてはいけない」
佐藤氏「やる事をやるのは簡単。やらなくていい事をするのがデザイン」
柏木氏「マーケティングの為にデザインをしているわけではない」
西山氏「持たざる者が皆で集まりなんとかしようとする」
須永氏「私達がどんな世界にしたいのかを旗振りするのがデザイナー」「どの位酷いのかを知る」
陶氏「デザインとは見極める事」「(江戸時代に)健康という言葉は無いが、達者という言葉がある」
ただ、自分としては滝川に限らず北海道の現状に近い感覚なのは梅原氏ではないかと思いました。そして、原氏と梅原氏の御2人が言う事は間逆な様でいて、実はしっかり結ばれている深い問題なのだと思います。
「マネー」「志」「デザインの教育への入り方」なども話として出ていましたが、鎖国時代ではない今の世の中で、本やHPやTVで山ほど情報は入ってきて、そこにはデザインへの知識は地方も首都も格差は無いと思います。
格差があるとしたら、本物を直接見れない格差。
素晴らしい建築物も絵画も映画も音楽も演劇も、残念ながら滝川では見れません。札幌ですら私は不満だらけです。ではどうしているのかというと、今は道民が自分のお金で上京して直接見てくるしかないのが現状です。本物を直で見るために自分のお金で行くというのは、パワーとマネーが不可欠です。とても大変です。東京→札幌は格安ツアーあり、札幌→東京は格安ツアーは無い。
うまくまとめれませんがそういった格差も重大な問題だと思います。
マネーの中の歯車うんぬん・・・は流石、日本を代表する方々の視点や経験・体験と素直に感動しましたが、ここも地方と首都圏のポジションの格差を認識せずにはいられませんでした。どちらかというと、梅原さんの話が近いのが北海道。お金が無いからクライアントはデザイン代を見ようとしてくれないのです。知識が無いわけではなく(と信じたい)、むろんデザインを知らないわけではないけど、本当にお金が無い。圧倒的に部数もロット数も首都圏と地方では桁が違う。予算が違う。お金が無くて出てこない。その予算をどうやって絞り出すかは、地方にいる私たちは毎回本当に苦しい戦いです。
紙(感想アンケート)が終わってしまうので無理矢理言うならば、デザインの格差はマネーの格差と切り離せないと切実に痛感したミーティングでした。
原さんの基調提案が面白かった。そこで問題にされているのは、moneyという情報、というか情報のみになったmoneyが社会を根底から変換しているという事でしょう。デザインも当然変換するし、「デザイン」という理想論はその社会の新しい姿を語らねばならない・・・という事?「携帯が個人に接続された新しい次元の情報社会のデザイン」の話も聞きたかった。少なくともinternet‐webのデザインも携帯機そのもののデザインも、世界的に格差がありません。東京も滝川も同じ。戦時中のイラクでも、市民は同じ様に小さな携帯をつかっているのをテレビで見ました。
今回、初めてデザイン会議に参加し、日頃忘れがちなデザインの本質的な部分に気付かせていただきました。まさに“気付きに気付く”の教え。本を読みたくなる図書館のデザイン、ブルーのバンドエイド、マンホール、デザインがマネーを取り込むシステム等、今回の会議で出されたフレーズはデザインが持ち得る力、可能性を改めて考えさせることばかり。また、格差問題において、広い意味でのデザインの教育—デザインの概念を広めることの重要性を認識しました。デザインは考え続けなければならない。基本的なことに気付くきっかけになったと思います。
今回はありがとうございました。北海道滝川という場所に来れたのも、こういう機会があればこそです。今回このイベントに参加して一番感動したは、ホスピタリティに溢れていたこと。「滝川を楽しんで欲しい」という、もてなしの気持ちがシンプルに洗練されて表現されていました。事前の案内、HPの作り方、メールでの的確なアナウンス、当日のスケジュール、食事のメニューや素材等、主催者の意向が手に取るように伝わるものでした。過去様々なイベントやシンポジウムに出てきましたが、その中で仕組みとして最も優れたデザインが滝川にありました。
今回の会議の大きなテーマとなった「デザインとは何か?」は難解な哲学かもしれませんが、シンプルに考えれば五十嵐さんが示してくれたホスピタリティではないかと思います。「滝川の伝えたいこと」がよくわかりました。
もうひとつ、事前の告知広報も大切ですが、現地に来たら、まず来訪者が何をファーストインプレッションとして感じるか、その導線づくりも大切なデザインなのだな感じました。
デザインの定義・捉え方がパネリストによって様々で、議論が中々収斂せず、もどかしい一面もありました。それだけ日本において、専門家の間でも議論されつくされてはいないのでしょう。
デザインの送り手・受け手側それぞれにも課題が多くありそうです。
この様な問題意識を共有するイベントが数多く、広く行われていく必要性を感じました。
よき改革の実験場である、この度の会場での感覚と実行を満喫させて頂いた連日でした。五十嵐先生はじめ実行委員の皆様、厚く厚く御礼申し上げます。また勉強させて下さい。そして、良き決断と子育ての様な忍耐を、滝川に注いであげて下さいませ。感謝。
会議の内容がモダニズムとデザインについてから始まり、それを踏まえてシステムの話であったり、それが教育の話、時間軸の話、また人の思いであったりと多くのものを感じる事が出来ました。自分はまだ学生で、パネリストの方々が感じているしがらみ等理解出来る筈もなく、タダ多くの刺激に心を動かされるばかりでした。今回の貴重な経験をモチベーションに変え、これからの生活の中で理解出来る様に毎日を過ごさなければと思います。また、受け取ったものを学んでいる建築に置き換えて日々学んでいきたいと思います。最後に、スタッフの方、ボランティアの方々、参加していただいた方々、パネリストの方々に御礼を言いたいです。「ありがとうございました。」
この「デザイン宣言タキカワ」デザイン会議に参加し、日本のトップのデザイナーの方々の悩み、またそれらの方々がデザインのあり方について考えていらっしゃる事に触れる事が出来て非常に良かったと思う。まだまだ咀嚼出来ていない事は多々あり、また経験がほぼ無いに等しい私にとっては到底理解等出来ないのだと思うが、それでも多くの刺激を受け、私なりに感じる事もあった。私が感じたそのような事を表現すると、私が全く理解していなく未熟であると示す事となってしまうだろうが、少しだけ述べさせていただきたいと思う。
デザインとマーケティングについて、近年はデザインがマーケティングによってその本質を歪められてきているという事は耳にする機会が多い。会議でもお話があったが、デザインは近代的な思想、つまり最低限必要な生活レベルだけではなく、その上にある一種の豊かさを求める事で生まれたようである。
しかし、それらが資本主義と共に発達していく中で、少しずつその本質が希薄になってしまった結果が現在の状況なのではないかと思った。確かにマーケティングによってデザインは発展し、それがあったからこそ今日のデザインレベルがあるのであろうが、当初の“マーケティングを利用してデザインが普及”という状況が、現在は“デザインを利用してマーケティングが行われている”というものに変化しているのではないかと思った。私は、デザインは「量」ではなくいわゆる「質」を求める事が根底にあるのではないかと感じるが、一方、必ずしもそうとは言えないが、大量生産・大量消費社会はいわば「量」を求める傾向があるように思う。この様に、デザインと大量生産・大量消費社会のマーケティングは根底に異なる性格を持っているにも関わらず、これらが相互に関係し合いながらお互いが発展してきた所に一種の矛盾があり、その矛盾が現在問題として現れてきているのではないだろうかと私は感じた。その問題を具体的にどうしたら良いのかは私には分からないが、このような状況によって、デザインやデザイナーが経済やマーケティングに巻き込まれるという事が生じてきたのではないだろうかと思う。また、梅原さんが仰っていた「みかんの箱に立派過ぎるロゴマークは要らない」というお話や、佐藤さんが仰っていた「手を加えすぎてはいけないのではないかと感じる」というお話。そして、平野さんの「そう考えて行っている事自体がデザインなのでは?」という言葉は非常に興味深かった。表面的なパッケージ等、目に見えるものとしての狭い意味での「デザイン」を一人歩きさせないようにする。その事自体がこの会議での「デザイン」であるのだと私なりに感じた。デザインの格差についても感じる事や考えさせられる事はあったが、これ以上述べても私の未熟さをさらすだけである気がするので、控えておきたいと思う。
この会議で、デザインについて私なりに多様な考えを巡らす事が出来ました。この様なきっかけを与えて下さった「デザイン宣言タキカワ」デザイン会議に参加できたことをとても嬉しく思っております。貴重な機会を与えて下さりありがとうございました。
この様な機会に立ち会えました事に深く感謝致します。それぞれの置かれた立場でのご意見を聞かせて頂き、大変面白かったです。 デザインは私達を幸せにしてくれるものである事を願っています。